2018/01/21 09:40 午後

パトロネージュのお話、その3。

  • 2017/12/15 09:17 午後
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さて少々日が空きましたが、パトロネージュのお話の続きです。

パトロネージュの大きな部分を占める150枚超のカードについて、山田さんから提出されていたサンプルを元に、
ママダさんと山中さんと、カードのデザインを始めました。このゲームに登場する芸術作品には
「建築」「彫刻」「絵画」の3種があり…、それぞれ「資料を用いるのか(用いれるのか)」、「ママダさんが描くのか」という問題がありました。
また芸術家についても、しっかりとした肖像画が残っているものから素描のみのもの、彫刻だけが現存するもの…等々、様々でした。
サンプルでは全般的に写真画像が貼られていましたが、これをそのまま製品にすることは難しい為、
山中さんを中心にバランスを模索することとなりました。結果としては絵画については元画像、
建築・彫刻については現存するものの写真を元にママダさんが調整・彩色、芸術家については現存資料を参考にママダさんが執筆、となりました。
一方もう一つの重要事項となる箱絵については、様々検討の結果「時祷書」「写本」の形式を踏襲することにしました。
これは私の「ゲーム内容を表す光景を、美術的観点とバランスを取りながら表紙に収めていただきたい」という要請に応じていただいたものです。
…と、制作を終えた所で書くのは簡単ですが、ママダさんを中心に、相当なお骨折りをいただいた作業でした。
山田さんともゲーム上の機能性との両立について密にお話合いさせていただきました。

ニューゲームズオーダーでのゲーム作りでは、これは私自身の元々の性分も大きな動機となっているのですが、構成する各要素について、
硬軟取り合わせて多くの意味を同時に入れ込みます。その優先順位や精度へのシリアスさ…といったことについては言ってしまえば
「最後は感覚」ということになるのですが、ともあれ「あちらを立ててこちらも立てる」といった信条で、倒れても倒れても立て直し立て直して、
最終的には「方々立ってる!凄い!」という状態を獲得することを狙って、作業を進めていきます。
「めっちゃ都合のいい状態」への執着と根気が不可欠な仕事になります。

ただそんな私共でも、今回ほど多くの要素を同時に、両立を目指して束ね合わせ、製品に入れ込んだことは、今までありません。
「このゲームをこういう物にしたい」と真剣に考える、確かな能力を持った主体が多ければ多い程、
それはゲームが持つ魅力が増す可能性となりますが、当然ながら、その個々のこだわりの協調を取るのは飛躍的に難しくなります。
ただこのゲームは「素晴らしいけれども商業と適合させることが難しい」作品でしたので、リスクを取ってでも、
大きな力を引き込む必要がありました。「何でこんな無茶するの…」と傍からは見えるのかもしれないのですが、
後に引けないくらい張り込んでおいて「大当たりが残っていないとわかっているくじを引く」というのは、誰の為にもならないと考えたのです。


上記のような制作の方針が最も顕在化しているのが、既にご存知の方も多いと思いますが「金属製コイン」と「木皿」でした。
今日はそのお話をしたいと思います。

山田さんと製品仕様について初めてお話した際は、「ママダさんと山中さんをアートワークに起用する」ことのご了解をいただくことが
第一議題だったわけですが、実際はそれ以上の課題がカードに並ぶもう一つの中核的内容物である「予算を表すマーカーと受け皿」の取り扱いでした。

自分の中では「大量のカードのイラストと印刷で相当のコストがかかる」ことはこの時点での前提となっていましたので、
このゲームの製品としての価格、コストのバランス取りの為、自分の中で定まった方法として、山田さんに尋ねました。
「受け皿は無しにして、『紙製チップの表裏で未使用、使用済みを表示する』といった方法の採用についてはどのような感想を抱かれますか」と。

山田さんのお答えは、ある程度は予想していたものの、その予想以上にはっきりとした「それは止めていただきたい」というお答えでした。
東京ドイツゲーム賞に提出されていたサンプルでは、市販のマーカーにマドレーヌのカップ、といった簡易なものが入っており、
勿論遊べるものではありましたが、そこにどういった意図が置かれているか、というのが強く伝わってくるものでは無い状況でした。
そこで、私がその理由を尋ねますと、その答えは「このゲームの着想に関わるものだから」ということでした。

TCGにおける(マジック・ザ・ギャザリングでいう所の)「タップ」「アンタップ」という手続き、表示方法については、
テーブルゲームに日常的に親しんでいる方ならばご存知のことも多いことと思います。
縦置きにしたカードの効果を「起動」する際に「タップし」(90度回転させて横向きにし)、使用したことを示す。
多くのTCGでは、自分の手番が回ってきた際にこれらを全て「アンタップし」(横向きになっていたものを縦向きに戻し)、
再び全てのカードが未使用の状態となったことを示します。

この手順についての改善を考え、その一つの答えがこの「マーカーと受け皿」です、というのが、山田さんのご説明でした。

TCGではゲームが展開するにつれ場にあるカードが増える傾向にあるため、自分の手番開始時に「アンタップ」を行う際、
それなりの数のカードを全て「縦向きにする」手数、手間が生じる。ここに分け入りたい。
ラウンド自分がコストを費やした時、「容器にマーカーを投入する」。そして次のラウンドの開始時に全員が「容器をひっくり返す」。

「1回の動作で『アンタップ』を完了できるようにしたいんです」

というのが、山田さんのデザインの意図でした。
このゲームはカードに関わる手続きから出来上がっていったゲームでは無く、この「マーカーと受け皿」にこそ、発想の出発点があると。

…なるほど、と自分は考えこみました。
まずこのアイデアの方向性について自分がどう感じたかと言うと、それは素直な「共感」です。それは確かに良いこと、という。
それはこの「マーカーと受け皿」がもたらす「改良」が、地味ながら確かなものだったからです。
この世界に「手番の度にアンタップをたくさんすること」を楽しみとしているプレイヤーがほとんどいないだろうことは想像に難くないですから、
この改良が、(実現さえされれば)確実なメリットをもたらすことは明らかでした。

ゲームの内容や、アートワークや、その他様々な部分については、それはプレイヤー皆様個々のお好みがあります。
一方でこれは物理的な「改良」で、遊ぶ人ほぼ全員にメリットをもたらし得る。
こういったこと一つ一つの積み上げは、ゲームの楽しみに確かな力を与えていきます。
(先のババンクでの「1㎜1金」も、これと同様の考え方です)
このゲームのリズミカルなテンポと、この「マーカーと受け皿」は確かなリンクを持っていると言えました。
ルールの量、ゲームの各場面で提示される選択肢の広がり、そして手続きと用具の調和の度合い、といったことは、
ゲームのリズムに影響を及ぼし、そのゲームを名作にも駄作にもしますから、…やはり、この方のデザインには確かなものがある、
という認識を、このお話を通じてさらに強いものにしました。

しかし、費用対効果という角度から見ると、「マーカーと受け皿」を製品に入れ込むのは、率直に言って難題でした。
これを及第点というレベルまでコストを切り詰めて、と考えると、紙製、もしくは木製の円形マーカーと、
紙製の容器(できるだけ小さくできれば平面。ちりとりのような形や組み立て型)となります。
「未使用」と「使用済み」の領域分けができ、容器を持ち上げてのワンアクションでリセットが出来れば、一応その機能は満たされることになります。
しかしこれは、どう考えても「喜ばれ難い」。そしてその割に「それなりのコストはかかる」。そして「事務的すぎる」。

「コストを削ってリーズナブルに出版し、より多くの人にゲームの魅力を伝えることを目指す」という方向性も、
「夢のあるアイテム、そしてそれに伴うゲーム体験を現出させて、遊んだ人たちにとっての唯一無二の宝物にする」という方向性も、
どちらも良いのです。ただしそれが「十全に実現されるのであれば」です。
ゲーム毎に、その二つの方向性の間で、良い所にバランスを取るのが大切だと、いつも考えています。
真剣に考えるべきなのは、「それでは、このゲームはどこに位置付けるのが良いのか」「それ以上に、どこならば位置付けられるのか」。
創意工夫を凝らしてゲームを作る人が居て、貴重な時間やお金を費やしてゲームを遊ぶ人たちがいる。
そして勿論、その橋渡しを継続することを生業とする私たち自身も。
「作って良かった」「買って、遊んで良かった」「売って良かった」その全ての「良かった」を、どのように実現するかと考えますと、
どんなゲームも、選べる幅は決して広くはありません。
というより、実現可能な細い道を見いだすことだけでも難しく、加えてその道はなかなかに険しいのです。

作者である山田さんの思いをお受けして、「マーカーと受け皿」が不可欠であることは、理解し、また共感しました。
同時に、「そこにさらなる力を引き込まない限りは、勝負できる製品としては、このゲームは実像を結ばない」という確信が、すぐに生じました。

「マーカーを受け皿に入れる」のは、このゲームにとって「お金の支払い」を意味している。
そのお金は、パトロンであるメディチ家が、工房の責任者である自分(プレイヤー)にくだされたもので、
支払う先の最もたる所は、歴史に名を連ねる天才的な芸術家たちとなります。この獲得合戦が、このゲームの一つのハイライトです。

話し合いの中で「実現可能な形」を模索するうち、…自分の中に「金貨と木皿」のビジョンが生じました。
同時に…「ミケランジェロ君、我が工房に来てくれ!」と言うフレーズと、きらきらとした金貨が木皿の中で立てる金属音を想像しました。

このゲームに参加する全員に、まずこの金貨7枚と木皿が配られる。「パトロネージュ」を受けるわけです。
自分がゲーム中に取る一挙手一投足にこの金貨の支払いが伴うことで、その貴重な予算を切り盛りしているということを常に意識してもらいたい。
算数的な確率計算に邁進するばかりでなく、この金貨と木皿から、この作品が描き出す世界に思いを馳せていただき、
ゲームの両輪としたらどうかと考えたのです。
もちろん、他のプレイヤーの手元にある予算の使用状況を一目で把握できる、視認性の良い用具、という用途も、これは同時に兼ねています。

この金貨がアピールする魅力がゲームへの求心力を増し、それがこのゲームの面白さの真価に触れることに、繋がってくれたらと。

ゲームを作る度に、肝に銘じています。
私たちは美しいルールと、そこから生まれるゲームを愛していますが、遊んでいただくほとんどの人にとって、ルールは最後の2%。
その2%に触れていただくため、気付いていただく時間の猶予を作り出すために、98%の力を蓄えなければいけないと。

自分の心中には、「パトロネージュが遊ばれている風景」がありありと想像されました。プレイヤーの皆さんの手元には、金貨と木皿がありました。

この金貨と木皿が備わっているパトロネージュと、備わっていないパトロネージュと、それはどちらがより良いものだろうか?
このゲームを手にする皆さんは、自分の財布の中の二千円余りを、この金貨と木皿の為に、奪ってくれるなと言うだろうか?
それとも、このゲームにより理想に近い姿形を与えてくれるなら、二千円を惜しむことは無いと言うだろうか?

ここは自分の想像でしか無いわけですが。これだけ多くのボードゲームが溢れている中で、
皆さんが本当に欲しいのは「未だ得ていないゲーム」「未だ得ていない楽しみ」だろうと、私は思うのです。
自分の仕事はそのお気持ちにお応えすることだと思って、ゲームを作りたいので…、今回も、そうさせていただくことにしました。


「金属製のコインと、木皿を用意しましょう。たいへんですが、それが必要だと言うことがわかりましたので…」と、
山田さんにお伝えしたことが、その日のミーティングでの一番の成果になりました。


…という所で本日は終わります。思い出すと本当に色々なお話が出てきて、なかなか書き進むのが難しいのですが(笑)。
あと1回だけ書いて、終わりにしたいと考えております。
「パトロネージュ」は1月に一般販売できるよう進めておりますが、12月中には弊社より一定数の通信販売を行えるようにと考えています。
年末年始に遊ぶゲームに選んでいただけましたら幸いです。

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