気付くともう明後日にはゲームマーケット当日!スクエアオンセールの話、続きを書かねばなりませんね(笑)。
私吉田が西山に製造担当の白羽の矢を立てた経緯、その理由…ってことですが。

先日書いた通り、私は新宿のイエローサブマリンの地下1階のウォーハンマー専門フロア、通称「地下サブ」の担当者でした。
その前はMTG等を扱っている標準的な店舗で勤務してたんですが、その店が閉店することになり、
元々私が数年中には会社を辞め起業するつもり、ということを知っていた当時の上司Aさんが、
「普通にカードショップに異動するか、ウォーハンマーのフロアに行くかどっちがいい?」と希望を聞いてくれたんでした。
当時のイエローサブマリンではボードゲームの仕事など無いに等しく(笑)、まだしも新しいゲームジャンルについての見聞を広げたい、
ということで「ウォーハンマーの方でお願いします」と答えたのでした。

ウォーハンマー担当の勤務はどう考えてもイエローサブマリンの平均的な店舗業務とは異なるもので、言わば
「ゲームズワークショップ流」の対面接客を取り入れて、いらっしゃるプレイヤーの皆さんとコミュニケーションを深めつつ販売する、
という「街の模型屋の親父」的なやり方で取り組む仕事でした。
元々しゃべるのは全く苦手ではないので、ここに自分流のやり方をミックスさせながら働くことができ、
ウォーハンマーのプレイヤーの皆さんと顔見知りになっていきながら取り組んでいったいきました。

西山は、その店のお客さんのなかでも最年少といっていい一人でした。
多分初めてしっかりと存在を認識したのは自分が24、彼が19の頃だったかと思います。
当時彼はウォーハンマーの大きなゲームサークルのサブリーダーをやっていたようなんですが(本当に詳しくは把握してなかったですが)、
サークル内のイベント開催やら様々な調整の役割でにっちもさっちもいかん、みたいな感じになってまして…。
周りの年長のプレイヤーからはしばしば「西くんがやるって言ったこといつまで立ってもやってくれなくてうんぬんかんぬん」
みたいなクレームめいた話を小耳に挟み、彼が来店した時に「●●さんたちからこんな話がありましたよ」と知らせたり。
思い返すと当時の彼は、今と変わらず色々な頼まれごとに忙殺されていて疲れ切ってる風でした。
三つ子の魂というか、彼の現在のタチキタプリントの仕事ぶりと根本は同じというか(笑)。
何かと「良いですよ、俺がやりますから」と厄介ごとを(自分のキャパ以上に)しょいこむ性分で、
なまじっか小器用に(彼が当時自分を指して「小器用」「器用貧乏」とよく言っていた)できてしまうものだから、
周りの調子のいい人たちは色々なことをどんどん彼に押し付ける形になっていたりもし(笑)、
でも結果やり切れなくて空手形となりモメる、みたいなあまり心躍らない渦中にいました。
「あんまり色々安請け合いし過ぎない方が良いんじゃないですかね…」という自分の忠告を、彼は楽しくなさそうに聞いてたものです。

聞いていると西山は「自分としては製作系の専門学校に行っているので将来的に卓上ゲームとかホビー関連の仕事がしたい、とは思ってるんですけど…、全く口が見当たらない。自分絵も下手だし劣等生なんで」
と言っていた。
イラスト等の授業も学校ではあるけど、自分はクラスで一番下手な部類だという。
どんな感じなんですか、と見せてもらうと…まあ…、「確かに」と思ってしまう感じでした。
少なくとも、明らか才能があるようには見えなかった。

「デザインとかイラストとかでは勝負できないんで、造形のことを勉強したり製造関連の知識を入れたり、細かく動いてはいるんですけど…(溜息)」

といった、出口が見えない相談を聞いたりしていたのでした。
まず、西山に特別際立つ才能があるようには、(本人が繰り返しそう言ってましたが)見えなかった。
あと性格的にも相当悲観的と言うか、エンターテインメントに従事するにはちとネガティブ発言多すぎないか(笑)、
という印象も自分にはありました。
まず彼の専門学校卒業後の仕事の口が見えない、という話自体無理もない話で、そもそもその当時、
製作系専門学校を出てホビーゲーム製作の職場に入る、という「前例」自体が無いと言って良かったと思います。
人材としてのニーズが具体化していない。誰かにそういう仕事をしてほしい、という発想を持っている人自体がぱっとみ見当たらなかった。
仕事に就くというより、仕事を創造するというレベルの話で…「普通に考えて無理っぽくないか?」と。
彼はそんな中、手がかりを探し方々を当てもなく歩き回っている、というような状態でした。


スクエアオンセールの話が始まった時、自分は西山のことを思い出したのでした。
「儲からなさそうなボードゲーム」と「儲からなさそうな就活生」を掛け合わせて、何かを始めることはできるだろうか?

西山を知る(そして自分のボードゲームメーカー設立の意向を知る)他のお客さんたちにこのアイデアを話すと、
大方は「うーん、西くんで大丈夫なの、吉田くん的には?ちょっと心配になるけど…」という反応でした。
自分としても、わからなくはなかった。人のことを言える立場じゃないですが、なかなかとんがった若者だし、すぐ自暴自棄な発言するし…。
自分としても、躊躇われるところはあったんですが、ただ自分が「いや、やっぱり西山さんと組むしかないな!」と思う絶対的な点が一つありました。
それは、自分が最も大切で、強みに感じた、西さんと自分の共通項でした。


それは、彼が「悔しさをごまかさない、悔しさを噛みしめている人間」」だったということでした。
彼は「自分はうだつが上がらない人間だ」といったことをいつも言っていた。「だから人の何倍もやるしかない」と。
「ウサギとカメで言えば自分はカメ」みたいなことを口にする人はよくいますが、西山を見る限りにおいて、本当のカメはそうそういない。
そういうことをいう人は大抵「足が遅いだけのウサギ」だなと。
彼のように、本当に何倍もやってウサギに追いつこうとするカメを見たことは無かった。
そのカメが全速力でのろのろ走るときの形相を、他に見たことが無い。
「そのスピードじゃ、何倍やったって追い付けやしないよ」という、世の中全体から聞こえてくるような声に、一向に耳を貸さない。

「うるさい、今に見ていろ!死ぬまでやってやる、死んでもやってやる、やれる限りをやってやる!」

それだけで動いていた。

彼のことを良く知るにつけ、「珍しい若者だ」と自分は思いました。「そこだけが、自分に決定的に似てる」と。
イエローサブマリンの売り場の中で、ほぼオマケで置かれているかのような、利益をほとんど期待されてない存在の、ボードゲーム。
社内で「ボードゲームの扱いってもう少し大きくなっていかないんですか」と聞いても、
先輩たちの答えは「ボードゲームで店出来る程の利益出すのは無理だね」という断定的なものでした。
そしてその当時の自分には、それに反論できるような根拠のあるものは、何一つ無かった。
それが悔しかった。自分はボードゲームの面白さを、価値を可能性を、知っている。確信している。
ただそれを現出させる手立てが無い。糸口も見えない。そんなさなかでした。
根拠なんて無かったわけですが。
「必ずやってみせる。やってみせる!自分の命を薪にくべてでもやってやる!!」その時の自分は、その思いだけで生きていました。


「ボードゲームは絶対面白いのに全然広がってない、商売にならない。それを変えたいんです」
と言う構想、理想を本気で語った時、西山の反応は強いものがありました。
基本的に「このままじゃ我慢ならんからひっくり返してやりたい」という論法になるんですね、我々は(笑)。
自分の仲間の沢田が作ったスクエアオンセールというゲームがあって、これを99部作って売りたい。
このゲームには今までの状況を変えるかもしれない力があると、自分は感じている。
今まで以上のパワーをかけたいと思っているが、製造のノウハウがある担当者がいない。
今は仕事なんてレベルじゃないが、将来的には仕事にしていけないかと思って取り組んでいく。
仕事にするには、商品の価格と売れる数、その両方を何倍にもしていかなきゃいけない。
だから今回のスクエアオンセールは木製駒を自分達で製造手配して箱入りにして4000円にする。
西山さん製造やってくれませんか。今はウォーハンマーの、いわば遊びの活動をやめて、
仕事に繋がるかもしれないことに全力を投じるべき時間じゃないか…。

西山の答えは「…やってみましょうか(溜息)」でした。


この1、2年でニューゲームズオーダーを知った人達からすると、自分達がこんな感じの泥臭い
(というか泥そのもののような)成り行きで組んで現在に至ったということ、経緯自体知らない人もいたかもしれません。
元々自分達はゲームマーケットの小型ブースに居たんです。
というか小型ブースの島が形成されていった、とっかかり辺りの集団です。
小型ブース界隈で、一番目の色違った集団だったんじゃないかなと。
「上手く転がったら仕事になったりして…」なんて前提では無く、いつでも「仕事にするための逆算」をしていた。
仕事が欲しいという話じゃなく(仕事がしたいだけならボードゲームの仕事をしなきゃいけないわけではないですから)、
この界隈に仕事になりそうな規模と品質を多少なりと持ち込もうとしなければ、ボードゲーム専任の様々な係をフルタイムで置けない。
「大人がフルタイムで働いていられるレベルの収益性に向かわなければならない。理想のゲームを作ることをあきらめない限りにおいて、最短距離で」
これは自分の結論であったし、西山の望む未来というのは、この構想にフィットするものだった。
利害が一致したのです。

自分は西山と沢田たちサークルのメンバーを引き合わせ、「西山さんです。彼に製造やってもらいます」と言いました。
沢田は「はい。よろしくお願いします」という返答。西山「よろしくお願いします」
親交を暖めるような時間も持たれず、一同2005年のゲームマーケット出展に向け、スクエアオンセールの製造に着手したのでした。
この集団の社交辞令とか無駄が無い感じは、今にしても自分は好きですね(笑)。


というところで今日は切りましょう。
この後の2005年スクエアオンセール(あの時は「スクウェアオンセール」でしたか)の顛末については、
多分当時の沢田の記述なんかを掘り返せば出てくる気がしますが、それ以前の話を大体話しました。
いや~。こっからたいへんだったんですよね、ホントに!ちょっと次回書くまでに当時の記録探して次回リンクでも貼ろうかと思いますが、
ゲームマーケット後になるかもしれません。ともあれ我々の15年に渡る執念の総決算であるボードゲーム、
スクエアオンセール(こんな小奇麗になっちゃって、という沢田の言が先日ありました)、是非よろしくお願い致します。
うん、つまり全員買って!

コメント (0件)